【日本人のルーツ】「シュメール人起源説」と「日ユ同祖論」【オカルト集大成へのプロローグ】
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日本人は、どこから来たのか?
もともと日列島に住み着いた土着の縄文文化を待つ民族集団に中国や朝鮮からの渡来人が混ざり合い、国家を形成してゆき・・・・なんて話が一般的かと思います。たしかにその通りで、大体は当たっているのでしょうが、考古学的にみてまだまだ謎の部分が山ほどあるのも正直なところだと思います。
天孫降臨:天皇家の祖神である神とそのお供神々が現在の宮崎県高千穂に舞い降りたと古事記にはあります。
日本人の起源で明治ごろから話題になってる説といえば、ご存知「シュメール人起源説と「日ユ同祖論」ですね。
話題になっているとはいえ、シュメール人自体の研究はまだまだ発展途上であり、日ユ同祖論だって全否定する方もいるでしょう。
要するに確証のない話ではあるのです。ですがこのお話、正直オカルトの集大成といっても過言ではないくらい、ありとあらゆるオカルト要素が結びついてくる話なんです。
そこで、どのような話なのかなるべく簡単にご紹介します。
そこでまずシュメール人について簡単にご紹介したいと思います。
シュメール人:メソポタミアより見つかる、古代シュメール人をモチーフとした石像。
皆さん、古代メソポタミア文明て聞いた事ありますよね。世界で最古といわれている文明の1つです。現在のイラクの一部チグリス川とユーフラテス川を拠点として複数の文明が生まれ、都市国家を形成していくのですが、その初期の文明の中心となった民族が、シュメール人です。
メソポタミア(Mesopotamia)とはギリシア語で「川の間の地」という言葉
この民族は紀元前3000年ころ(今から5000ほど前)どこからとも無く、突如として現れます。
このシュメール人、現在までの調査でその基になる文明の痕跡が見当たらず、いったい彼らがどこからやって来たのかすら謎のままなんだそうです。
わかっている事は、大変高度な文明と優れた文化を携えて突然現れたという事だけです。
紀元前2100年頃のシュメール文明時代に建造された、ウルのジッグラト:Wikipedia
建築・芸術・学校制度・法体制・政治体制・医療・船・車に至るまで、ありとあらゆる大変高度な技術と知識、そして優れた文化を携えて、突然歴史の表舞台に登場し、これらの技術を駆使し文明をどんどん発展させいきます。
シュメール人の高度な知識を知る上で注目すべき例を挙げると、彼らはこの時代では考えられないような天文学の知識を持っていました。
例えば、現人類の文明が西暦1700以降に発見した肉眼で見えない惑星、天王星 海王星 冥王星の存在だけでなくその姿まで認識していたといいます。
海王星と天王星:シュメール人たちは、海王星を「青色で湖沼に満ちた星」。天王星を、「水に満ちた青色の星」と、それぞれ形容していたといいます。
驚異的とも言える正確さで様々な惑星の事細かな動きまで詳細に予想出来といいます。
また天文学の知識を使い独自の月日を計る暦を使っていました。
現在の7日で1週間というサイクルも、もともとはシュメール人の考えた暦からきています。
そのほか、時間を60で区切る計算法なども、基はシュメール人のものです。
そんなシュメール人、紀元前2000年ごろ、またまた突如としていなくなるのです。
その原因は他民族の流入による争いだと考えられています。
ただし一般的には・・・
ここからが本題です。
他民族の流入により住む場所を移動させたシュメール人その中に旧約聖書・創世記に登場するイスラエルの祖先アブラハムがいたと言うのです。
裕福だったアブラハムはメソポタミア南部の古代都市ウルという町にて、シュメール人の妻と共に暮らしていました。
あるとき一部のシュメール人を巻き込みメソポタミアの北方のハランという土地に移住します。
そしてその地で神の啓示を受け、約束の地、カナンを目指すのです。
この後、神との契約を受けたユダヤの民として、聖書の記述の通り土地を変え人を変え、最終的に日本にたどり着いたという考えが、「日ユ同祖論」というわけです。
三柱の天使をもてなすアブラハム:イタリア・ガルラ・プラチディア霊廟のモザイク
こじ付けにしか見えませんが、かなり話を端折っていますのであしからず。さらに詳しいものはまた後日記事にさせてもらうとして、
日本人の「シュメール人起源説」の方は、もっと、とんでもない話です。
まずシュメール人の基となる文明は、実は超古代の日本にあったというのです。
しかもその文明、ノアの箱舟に代表される世界中に残る洪水伝説。その大洪水の後、一番初めに出来た文明だというのです。
しかし、いつのころかさらなる理想の地を求め、日本を出て、世界中へと拡散してゆきます。そして、その中から3つのグループがチグリス川・ユーフラテス川流域で合流し、共同で新たに築いた文明こそが、シュメール文明だというのです。
ただし、たどり着いた先は砂漠地帯であるメソポタミアの地、厳しさしか与えない砂漠地帯の環境に対して、自分たちにもともと根付いていた精神性や、生活様式が結局は馴染めず、失望感を感じた彼らは、また二手に分かれ日本に帰る事にしたというのです。
(みなさん、ことわっておきますが、この説は数ある「シュメール人起源説」の中でも、特にとんでもない説でありますので、ご了承を。)
さて、そんな「シュメール人起源説」を提唱するのには、一応それなりの根拠があります。
それは、言葉や文字の使い方に、日本人と同じ傾向を見て取れるからといいます。
欧米考古学者や言語学者、オリエント史学者によって解読され始めたシュメール人の文字と言語は、次のようなことが明らかになっているといいます。
●シュメールの楔形文字は、漢字の形成とほぼ同じ過程を経て成立している
●シュメール文字は現代日本語の漢字仮名まじりと同じ構造をもつ
●シュメール文字は子音のみならず母音をも記す
(シュメール周辺のセム系言語の文字は、子音のみを表記する)
●シュメール語は膠着語である
※、日本語は膠着語に分類され、日本語の母音はシュメールと同じである
それから、日本語で記された古事記の一説をシュメール語で同様に読めてしまう個所があるといいいます。その1つがこちらです。
古事記にて、豊玉姫(トヨタマヒメ)の歌
○原文
阿加陀麻波袁佐閉比迦礼杼斯良多麻能岐美何余曽比斯多布斗久阿理祁理
○漢文語訳
赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
○シュメール語訳
aka dam,u sur gig rag.si lig dam kin gi u gush tab tuku ur,kil.
(アカ ダマユ サエ ヒガ レジ シ ラジ ダマ キン ガ ユ グシ タブ トク アルケル)
○シュメール語の日本語訳
私の愛した夫よ、宮中の僧侶は(あなたが)病気だから祈祷をすると、布施をせがみます。
私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせて下さい。手紙を頂くのを、心待ちに致しております。
(正直、歌の内容は古事記のものと、違いますが・・・まあ確かに文字だけ見れば、同じ様に読めなくもないか・・・・?)
このほかにも、日本語とシュメール語では、読みと意味が重なる言葉がいくつかあるんだとか。
言葉以外でも、シュメール人の王朝が用いていた紋章と、日本の天皇家の家紋が同じ十六菊花紋であったりとか、日本でも、シュメール文字が彫られた巨石が見つかっていたりします。
どれもメソポタミアより出土するさまざまな16菊花紋。古代シュメールのもの。
山口県下関市の彦島にて見つかったペテログラム。シュメール文字と古代バビロニア文字だという。:ペトログラフ・ハンドブックより
(1987年山口県下関市の彦島ある、石に刻まれたペテログログラフと呼ばれる模様が、その後の研究により、シュメール文字と古代バビロニア文字で刻まれたものだという発表が1987年あり、その後、同様のものが九州北部と山口県西部の各地からも発見されているのだそうです。)これらの事を根拠に「シュメール人起源説」を提唱しているというわけです。
一方、「日ユ同祖論」の方はというと、日本語とユダヤ人が使うヘブライ語ではもっと露骨に、言葉やその意味の類似性があり、例に出したらきりが無いほどです。
そのほか、16菊花紋をはじめ、ダビデの星を代表とするシンボルや、祭事様式など、ユダヤ教に通じるものが日本の由緒ある神社に伝わっていたりなど、正直、「日ユ同祖論」のほうが確証しうる要素が色々そろっているのが現状です。
(もちろん、まだまだ一般的には受け入れられはいません。こちらも今後また詳しくご紹介します。ちなみに、わたしの個人的な意見ですが、「日ユ同祖論」には何か、鵜呑みにしてしまってはいけない、人為的なたくらみを感じてしまいます。)
さて今回、簡単にではありますが、シュメール人から始まり「シュメール人起源説」と「日ユ同祖論」の話をご紹介しました。
冒頭でも述べたとおり、これらに関係した話はオカルトの集大成といっても過言ではないくらい、ありとあらゆるオカルト要素が結びついてきます。
今後ポイントを変えあらためて、また紹介して行けたらと思います。
ところで、そのオカルトの集大成とはいったい何なのか?そしてその行き着く先に見えてくるものとは何なのか?そのヒントをのこしつつ、今回は締めくくろうと思います。
オカルトの集大成ともいうべき物と、その行き着く先に何が見えてくるのか、それは・・・
『この世界と人類の起源』そして『この人の世を影で動かそうとする陰謀の最終章』
が見えてきます。
無論どのように捉えるかは、皆様しだいです。いつも通り一般的な確証の無い話しになって行きますので。
ただ、願わくば皆さんに楽しんでいただけたら幸いと思います。